【第1話】自由を手に入れたら、人生が止まった話

海の近くに住んでいる。

“近く”どころか、部屋の中からは蒼い海が一望できるような環境だ。
対岸には別荘地の丘があり、自然に溢れ、真っ白な船が往来している。
休日になれば、海辺のカフェには観光客が列を作る。

私にとっての「日常」は、誰かにとっての「特別」なのだ。

 

昔、中学時代の恩師である国語の伊藤先生が言っていた。

『スカッと晴れた青い空は、とても気持ちがいいものである。
しかし、ある人から見れば、あまりにも眩しく鬱陶しいものである』と。

 

きっと、私のこの生活は、ある人から見れば理想の生活なのだろう。

 

 

古い昭和バブル期のコンドミニアム。

スーパーまでは車で15分。
海までは数分。

街までは1時間ほどかかるが、たまに誰かに街遊びへ誘われることもある。
でも基本はひとりだ。それとクロネコがいる。

 

昔の自分なら、こんな環境に憧れていたと思う。

人間関係に縛られず、
嫌な仕事もせず、
自然の近くで、自分のペースで暮らす。

いわゆる「自由な生活」。

そう、街に住んでいたころの「理想」がここにはある。
願いが叶っている状態だ。

でも、面白いもので、
実際にそこへ辿り着いてみると、
不思議なことが起きた。

 

 

『人生が止まった。』

 

 

正確に言えば、私には止まったように感じた。

別に毎日が不幸なわけじゃない。
むしろ静かだ。

朝、海へ行く。
腹が減ったら飯を食う。
眠くなったら寝る。

誰かに怒鳴られることもない。
理不尽な上司もいない。
世間体を気にして無理をする必要もない。

なのに、未来へ向かう力が出てこない。

「次はこれがしたい」が無い。

昔はあった。

もっと自由になりたい。
もっと稼ぎたい。
もっと自分らしく生きたい。

そうやって走っていた。

でも、色々なものを手放していくうちに、ある地点で気づいてしまった。

もしかして、自分は“自由になりたかった”んじゃなく、“苦痛から離れたかった”だけなのかもしれない。

仕事から離れた。
人間関係から離れた。
結婚から離れた。
土地から離れた。
役割から離れた。

そして最後に残ったのが、「自分」だった。

これが結構きつい。

海へ行っても、自分。
旅へ出ても、自分。
静かな部屋にいても、自分。

どこまで行っても、“この意識”からは離職できない。

最近、思う。

自分は人生について考えすぎたのかもしれない。

普通の人なら、忙しさや人間関係の中で薄まっていく問いを、自分はずっと握り続けてしまった。

「自由とは何か」
「生きる意味とは何か」
「欲望とは何か」
「エゴとは何か」
「なぜ人は何者かになろうとするのか」

そういうものを長年掘り続けた結果、気づけばゲームの外側へ出てしまった感覚がある。

でも、人間はゲームの仕組みを理解したからといって、生きなくてよくなるわけじゃない。

腹は減るし、金も減る。
孤独にもなる。

だから今、自分は「人生を成功させる方法」ではなく、

“どうすれば、これ以上消耗せずに存在できるか”

を考えている。

若い頃みたいな熱量は残念ながらもう無い。

でも完全に絶望しているわけでもない。

ただ、静かに漂っている。

今の私は、そんな感じだ。

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