はじめに
Studio Kuraというアーティストレジデンスがある。
糸島にあるKuraは、世界中からアーティストが集まり、最大3ヶ月の期間、他のアーティストたちと寝食を共にしながら作品を仕上げていく空間だ。
その月一イベントに行ってきた。
率直な感想。
やっぱりオレは、アーティストであるべきなんだと気付かされた。
昔から【Artist/アーティスト】という言葉に惹かれる。
「それでいいんだ…」という安心感を、いつもこの言葉からもらってきた。
Kuraでは、そこにいる全員が自己表現をしている。
誰しもが自分の作品に取り組み、表現している。
その空間に身を置いて、
オレはあらためて「自分がどう在りたいのか」を自分に問いかけることになった。
オレもアーティストである以上、
作品を世に出し続けるべきなんじゃないか。
そんな問いが、自然と浮かんできた。
オレ
作品点数は、多ければ多いほどいい?
AI
量は目的じゃない。
でも、量がないと質は立ち上がらない。
アーティストにとって作品点数は、
評価指標というより「呼吸」に近い。
止まると、息苦しくなる。
オレ
じぶんがどんなアーティストか、人に説明できるようにしておくべき?
どう説明したらいい?
「写真を使ったアーティスト」?
AI
説明は、他人のためじゃない。
自分が迷子にならないための標識。
言葉は仮でいい。
- 写真を使って
- 感覚や時間や空気を
- そのまま残そうとしている
今は、それくらいで十分。
説明は作品の後ろから、あとで追いついてくる。
オレ
人がたくさんいる場所に行くと、ビクビクしてしまう。
今日の場合、知り合いが一人もいなかったから?
みんなそんなもん?
AI
そんなもん。
特にアーティスト集団は、
外向きに強そうで、内側は繊細。
周囲との距離感、空間、人の視線。
それを常に計測している。
ビクビクするのは、弱さじゃなく感度。
オレ
アーティストって、みんな“考える人”なんだね。
周囲への気の使い方や、距離の取り方がすごく似てた。
自分を見ているみたいだった。
AI
そう。
アーティストは、
世界を「感じる」だけじゃなく、
感じている自分を同時に観測している。
だから所作が静かで、動きが慎重になる。
オレ
「感受性が豊か」って言葉が好きなんだよね。
子供の頃から言われてた気がする。
なんか、馴染みのある言葉。
AI
それは、ずっと使ってきた言語だから。
感受性は、才能というより母国語。
忘れてもいいけど、
捨てる必要はない。
オレ
作品を出し続けることに、こだわってもいいフェイズに入ってる?
AI
もう、とっくに。
「出し続けたい」と思った時点で、
フェイズは切り替わっている。
今は、迷いながらでも
出す側に立ち続ける時期。
おわりに
Studio Kuraで感じたのは、
刺激というより、確認だった。
オレはやっぱり、アーティストなんだ。
それでいい。
作品を出し続けることに、
言い訳をしなくていい場所に
ようやく立てた気がしている。
これは、その確認の記録。


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