



長い長い思考の旅をしてる途中やと思うけど、結局、最終的に辿り着く場所はいつも「感謝」だね。
もし仮に、ココが自分独りのセカイだったら何にもないつまらないセカイ。イマココにある、すでに貰ってる幸せに感謝。周りの人、一人ひとりが居てくれてその役割をやってくれていることに感謝。今日も食べ物を食べて、寝て起きて、呼吸をして、生きていられることに感謝。この世というゲームが今日もここに存在し、暇つぶしができてることに感謝。
全てに感謝。
そこから全てがはじまる🌏
共に、がんばろう友よ🤝
【2025/12/04 追記】
これを書いてる時には気がついてなかったけど、友だちのことを友だちだと思ってたのはオレだけだった。悲しいけれど、それが現実だった。オレって友だちめっちゃ少ないし、本当に気の合う仲間って少なくて、基本、誤解されてる(笑) テンプル・グランディンの本にも書いてあった。『自閉症スペクトラムの人は相手のサインを見落としがち』なんだそうだ。思い込みが強いタイプなんよね〜、でもそれがセカイ観を創り出しててGoodな面でもあるけどね〜。こーゆー話になると毎回思うのが、みんな結局、思い込みの中で生きてるってコト。「この現実が“思い込みではない”という確証を得ることはできない」とオレは思う。詰まるところ、現実 or 思い込みのボーダーラインは非常に曖昧で、他者の多数決によってしか決まらないと思う。例えば、「今の総理大臣は誰ですか?」と云う質問に対して、『安倍総理です!』と答えれば、今現在の回答としては間違い、と云うことになる。では、それが間違いなのをどうやって証明するのだろうか?それはやっぱり、「それは間違いである」と言ってくる人の人数ではなかろうか。例えば、先ほどの「今の総理大臣は誰ですか?」と云う質問に対して100人中99人が『高市総理です!』と答える。それは99%正解なのである。さらに例えば、「今この現在地は、地球の日本の福岡の糸島ですか?」と云う質問に対して、「はい、糸島です:50%」「いいえ、糸島ではありません:50%」さらに、いいえ50%の中身はさらに細分化される。この質問の“今この現在地”は誰のかは問題ではないからだ。質問の意味を推測して回答してくれた「はい、糸島です:50%」は有難い。しかし、みんなにとっての現在地だから。この質問の回答は多元的で、どう答えたって答えになるのである。つまり、“そこには非常に曖昧で抽象化された現実がある”と云うことなのである。


コメント