すごく身勝手な話をする。しかし、これはボクの人生にとって切っても切り離せない問題であり、それでなくては「自分」という存在自体を維持していくことができないような重要なアイデンティティの部分を含んでいるので、敢えて備忘録として残しておく。
結婚してからコッチ、ずっと調子が悪く、なんだか浮かない顔ばかり。
仕事がうまくいかず、ベッドから起き上がれず
突発性難聴で耳鼻科の町医者から大学病院へ行ったかと思えば、
精神科に通いだして鬱病からの双極性障害、ASD、ADHDと診断されたかと思えば、
障害者認定を受けたり、ケミカルの薬に対する不信感が拭えず、東洋医学に頼りオステオパシーの先生に傾倒。
霊媒師にまで縋り出す始末。(それでもケミカルよりはマシ)
藁にもすがりたい気持ちはわかる。何とかしたいという気持ちも伝わっているだろう。
でも、嫁はただ、普通に生活をしたいだけ。
何でもなく仕事をして、子供を授かり、贅沢でなくとも普通に安心できる家庭を築きたい。ただ、それだけ。
とすると、旦那はどうか。
齢40を超えたというのに、未だに軸足が定まらない(というか軸足がない)
それは「社会的に」という意味合いでなのだが、その意味合いにおいて既に嫁とマッチしていないのである。
さて、病気の面での側面も忘れては行けない。
妻から見れば、旦那は病気。
旦那から見れば、妻のせいで病気。
病魔をなすりつけ合っている。
貧乏神は相手の方だと(相手そのものだと)言わんばかりである。
それぞれのやりたいlifestyleがマッチしていないと、このようなことが起こる。
まして、この旦那の場合はそんじょそこらの変わり者ではないのだから、それに帯同する妻はかなりのやり手である必要があるのだろうと予想している。
旦那の才能を見抜き、創作活動をしやすい環境を作りコントロールする。それができる人が妻に成り得るのだと。そう思う。
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